1月20日月曜~
ただここで気になるのは「エカチェリーナ2世の夫や歴代愛人は?」「エカチェリーナ2世の子供は?」「エカチェリーナ2世は性格が悪かった?」といったことではないでしょうか。
そこで今回まとめた内容がこちら
- エカチェリーナ2世の夫は?
- エカチェリーナ2世の歴代愛人は?
- エカチェリーナ2世の子供は?
- エカチェリーナ2世は性格が悪かった?
この記事を読むことでエカチェリーナ2世の家族や恋愛事情について知ることができて、グレーテルのかまどをもっと楽しむことができると思います!
目次
エカチェリーナ2世の夫は?
エカチェリーナ2世の夫は「ピョートル3世フョードロヴィチ」です。
ピョートル3世は、当時のエリザヴェータ女帝の甥で母方の又従兄にも当たるロシアの皇太子でした。
1745年にピョートルとエカチェリーナは結婚しましたが、二人の間には、「ドイツ語で話せる」以外に何も共通点がなく、お互いの趣味嗜好や性格も受け入れられないことが、結婚後まもなくしてわかりました。
結婚から半年後にはピョートルからエカチェリーナ送った手紙には、エカチェリーナに拒絶されている様子が書かれており、二人の関係があまりよくなかったことが伺えます。
エカチェリーナはロシア語を学び、ロシアの宗教を学び、ロシアに受け入れられるための努力を惜しまなかったのに対し、ピョートルはドイツにこだわり続け反感を買っていました。
ピョートルの得意であった音楽には、残念ながらエカチェリーナには興味がなく、お互いの趣味嗜好が一致することはありませんでした。
その不仲によってエカチェリーナは半ば公然と他の男性と関係を持つようになり、ピョートルの方もエリザヴェータ・ヴォロンツォヴァを愛するようになり、夫婦の関係は破綻しました。
エカチェリーナ2世の歴代愛人は?
エカチェリーナ2世の数えられないほどいるとされていますが、今回はその中でも特に有名な4名について調べてみました。
セルゲイ・サルトゥイコフ伯爵
エカチェリーナの最初の愛人は絶世の美男子と言われていたロシアの貴族「セルゲイ・サルトゥイコフ」です。
エカチェリーナの第一子であるパーヴェル1世は、彼との子どもではないかと言われています。
エカチェリーナはセルゲイのことを真剣に思っておりましたが、セルゲイは第一子が誕生すると別の女性に走ってしまい、二人の関係は終わりました。
スタニスワフ・アウグスト・ポニャトフスキ伯爵
続いての愛人は後のポーランド国王である「スタニスワフ・アウグスト・ポニャトフスキ」です。
スタニスワフと関係を持つようになって、エカチェリーナは当時100人を超えると言われていた愛人をすべて捨てました。
エカチェリーナの第二子、女の子のアンナはスタニスワフとの子どもではないかと言われています。
スタニスワフはエカテリーナのおかげでポーランド国王になったものの、政策が次々と失敗してしまし、結果的にポーランド王国が消滅、晩年はエカチェリーナからの仕送りを頼りに生活していました。
グリゴリー・グリゴリエヴィチ・オルロフ公爵
次の愛人は「グリゴリー・グリゴリエヴィチ・オルロフ」です。
彼はエカチェリーナの夫であったピョートルを廃位し、エカチェリーナを女帝に即位させた宮廷クーデターを首謀したことで有名です。
あまり思慮深くなく無骨な感じの将校であったオルロフは、エカチェリーナの目には新鮮に写ったと言われています。
クーデターが成功したあとは、エカチェリーナとの関係がうまくいくと思いきや、オルロフは不貞を繰り返し、エカチェリーナの顧問との間に対立が生まれたことで失脚していきました。
グリゴリー・ポチョムキン
最後に愛人と言われてたのがロシア帝国の軍人「グリゴリー・ポチョムキン」です。
これまで家庭に恵まれなかったエカチェリーナの生涯唯一の真実の夫と言われており、私生活だけでなく、政治・国策の面でも女帝の不可欠のパートナーであったとされています。
ポチョムキンのおかげでロシアは次々に領土を広げていき、一大帝国として勢力をつけていったと言われています。
エカチェリーナ2世の子供は?
エカチェリーナ2世は生涯で6人の子どもを出産しています。
第一子:パーヴェル1世
1754年には男の子を出産、後のパーヴェル1世になります。公式には父親はピョートル3世とされていますが、実際の父親はセルゲイ・サルトゥイコフ伯爵ではないか、と言われています。
パーヴェル1世
第二子:アンナ
1757年には、女の子アンナを出産しています。こちらも公式にはピョートル3世が父親とされていますが、実際の父親はスタニスワフ・ポニャトフスキ伯爵(後のポーランド国王)ではないかと言われています。
第三子:ナターリア・アレクセーエヴナ
1758年には、女の子のナターリア・アレクセーエヴナを出産しています。
ナターリアの父親はスタニスワフ・ポニャトフスキ伯爵かグリゴリー・オルロフ公爵のどちらかと言われております。
第四子:エリザヴェータ・アレクセーエヴナ
1761年、女の子のエリザヴェータ・アレクセーエヴナを出産しています。
父親はグリゴリー・オルロフ公爵であると推測されています。
第五子:アレクセイ
1762年に男の子のアレクセイを出産しています。
父親はグリゴリー・オルロフ公爵で、出産にあたってはピョートル3世に気が付かれないよう、火事が起こったと陽動しての極秘出産を行っております。
アレクセイは、ボーブリンスキーの姓を与えられ後に貴族になっており、その子孫はヨーロッパ最大の砂糖工場を営んでおります。
第六子:エリザヴェータ・ポチョムキナ
1775年には、女の子のエリザヴェータ・ポチョムキナを出産しております。
父親はグリゴリー・ポチョムキンと推測されています。
エカチェリーナ2世は性格が悪かった?
エカチェリーナ2世の性格に関しては
「国内外の人々を魅了するカリスマ性と、一流の学者や芸術家と議論できるほどの知性をもつ一方で、権力のために最大限に努力する豪放磊落で派手好みの恋多き女」
といったところでしょうか。
エカチェリーナ2世を性格を知る上では以下のエピソードがあります。
- 幼い頃から家庭教師に教わり、フランス語に堪能で合理的な精神を持つ少女に育つ
- それほどの美貌ではなかったが、生まれ持った優れた頭脳を活かし魅力的で美しい女性になる努力を重ねた
- ロシアのためにロシア語を学びロシア正教に改宗し、名前もゾフィーからエカチェリーナに改名した
- ピョートル3世をクーデターにより失脚させて自分が女帝となる
- たくさん抱えた愛人を政治的にも使いこなし、ポニャトフスキ伯爵を傀儡のポーランド国王に就けたり、グレゴリー・ポチョムキン公爵を対トルコ戦争の責任者に抜擢し成功を収めたりと、私的にも公的にも男たちを「使いこなした」
まとめ
今回はエカチェリーナ2世の夫や歴代の愛人、子どもと性格について詳しく調べてみました。
今回わかったことがこちら
- エカチェリーナ2世の夫は「ピョートル3世」
- 歴代の愛人はたくさんいるが特に有名なのは「セルゲイ・サルトゥイコフ伯爵」「スタニスワフ・ポニャトフスキ伯爵」「グリゴリー・オルロフ公爵」「グリゴリー・ポチョムキン」の4名
- エカチェリーナ2世の子どもは「男児パーヴェル・ペトロヴィチ大公」「女児アンナ」「女児ナターリア・アレクセーエヴナ」「女児エリザヴェータ・アレクセーエヴナ」「男児アレクセイ」「女児エリザヴェータ・ポチョムキナ」の6名
- 性格は「国内外の人々を魅了するカリスマ性と、一流の学者や芸術家と議論できるほどの知性をもつ一方で、権力のために最大限に努力する豪放磊落で派手好みの恋多き女」
この記事を読んでエカチェリーナ2世についてより深く知り、歴史のロマンに思いを馳せてみてはと思います。
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